第2回目の先生は、高知で紅茶やウーロン茶をつくっている

「明郷園(めいきょうえん)」の澤村和弘さんとさちさん。

ご夫婦でお越しくださいました。

 

澤村さんご夫妻

 

澤村和弘さんは元JA職員。

ずっと「55歳で早期退職して何かやる」と決めていて、「何か」が決まる前に

佐川町の山にある耕作放棄された元梨畑を購入しました。

 

明郷園

  【梨畑の名残で、梨の白い花が楽しめる】

 

魚釣りが好きだから、釣りが出来る民宿をやろうか。

年を取っても出来る農業が良いな。甘栗を植えよう。

そんな風に考えていた澤村さんが、紅茶にたどり着くまでのお話は、ドラマチックでした。

 

かつて日本では紅茶の生産・輸出がさかんで、

昭和28年には日本初の紅茶用品種「べにほまれ」も生まれました。

澤村さんが小学生のころは家の近所でも紅茶づくりが行われていたそうです。

全国的に広まっていた紅茶産業ですが、昭和46年に輸入が自由化されると

外国産の安い紅茶が大量に入ってくるようになり、生産量は激減します。

国も紅茶から緑茶用品種への転作を奨励しました。

 

このようにして高知からも紅茶の畑は失われていったのですが、

JA時代にたまたま訪ねた茶畑で、澤村さんは日本の紅茶用品種「はつもみじ」に出会います。

なんとこの畑では昭和40年からずっと、はつもみじが栽培されていました。

どうも園主が「いごっそう」(高知弁で頑固者)な方だったらしく、

国から転作の補助金が出ても「一度植えたもんは切れん」と植え替えを拒み、

はつもみじで緑茶をつくって出していたそうです。

 

建物はかつての紅茶工場

     【建物はかつての紅茶工場】

 

そしてまた偶然にも、この園主さんが澤村さんのお父様の後輩であったことがわかり

「お前がやるなら好きにして良い」と澤村さんに畑を任せてもらえることに。

貴重な、はつもみじの紅茶づくりが始まりました。

 

日本でつくられた紅茶用品種は「べにほまれ」「べにふうき」のように

「べに」が付くのが通例。

「はつもみじ」には「べに」が付きませんが・・・

「茶葉が元から紅っぽい品種が多い中、はつもみじは葉が黄色っぽい。

発酵して初めて紅くなる。その様子が紅葉のようだからじゃないかと想像しています」と澤村さん。

「後口がすっきりしていて、渋さが残らない。ワインで言ったら白ワインのような味わいかな」

この紅茶にほれ込んでいる様子が伝わってきます。

 

ここまで聞いたら飲まずにはいられません。

皆で紅茶の飲み比べをさせて頂きました。

 

お茶いろいろ②

 

お茶いろいろ

 

試飲風景

 

「はつもみじ」のウーロン茶は甘い香りで渋みがなく、まろやか。

「はつもみじ」の紅茶はカラメルのような香り。

砂糖を入れると渋さが少し立ちます。

「べにふうき」の紅茶はタンニンが強めで、ミルクティーにするとおいしい。

同じ「はつもみじ」でも栽培した畑が違うと香りが全然違ったり、

「はつもみじ」と「べにふうき」のブレンドがこれまたおいしかったり・・・

 

お茶パッケージ

 

実は現在ニッコリーナでは明郷園さんのウーロン茶しか販売していないのですが

勉強会の後、これは紅茶も売らねばならん!ということになり、

秋に今年の分が出来たら販売させていただく計画をしています。

みなさま、どうぞお楽しみに!

 

※産地の写真は澤村さん提供