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「品種改良」って何だろう?【後編】

「効率」「スピード」「確実な成果」が期待されるビジネス世界の常として、もっと早く確実にと、種の開発に「バイオテクノロジー」が使われるようになって久しく、すでに昔ながらの方法で「種とり」をしている種苗会社はすっごくマイナーになっています。
すでに一般的に農業に使われている種の九九%はバイテクをつかって品種改良され、海外で大量に安く作られたものがほとんどになっているのが現状です。
「首相官邸キッズルーム」という子供向けの政府広報のウェブマガジンでは、「おいしくて丈夫な農作物をつくる」というページで、これまでの「交配による品種改良」と「遺伝子組み換えによる品種改良」をイラストで対比させて解説し、登場するイラストのとうもろこし君が「遺伝子を組み替えるだけですぐにおいしくて病気に強い品種ができる!」と、説明しています。
稲や大豆、とうもろこしなど、主食となる食糧の問題になると、政府も子供たちにまで丁寧に説明説得に乗り出している感じですが、野菜や花などについては、市場原理でとっくに「遺伝子組み換えによる品種改良」があたりまえになり、すでに、種苗会社すら淘汰されている現状だったのです。ああー、知らなかった!

生き延びるための多様性

以前にご紹介した「自家採取」を行っている農家の石井さんたちは、それぞれの畑の土に最適な「品種」を残そうと、昔ながらの種採り法で自分の畑に最適なオリジナルの野菜品種を固定させています。
毎年種を撒き芽が出て、作物として青菜が茂ったり、大根が太ったり、茄子が実ったりするわけですが、その中で一番恰好が良く、自分が望む理想にもっとも近い出来の野菜を収穫せずに残して、花を咲かせ、実を結ばせて種を取ります。
それを次の年に撒いて、また花を咲かせてということを、根気よく毎年行います。そうしてできた種はその畑ならではの種になり、例えば石井さんちの畑ならば肥料がなくても立派な大根になるのに、他の畑に植えたら芽も出ないということが起こるんだそうです。つまりその畑で毎年受粉を繰り返し、元気なものを選んで残すことで、その畑オリジナルの特別な品種に少しずつ変化したともいえます。
もともと人間のために存在するわけではない自然の命は、自分の子孫を残すために、様々な工夫をして未来に自分の形質を伝え残そうとします。たとえば野生の種にとってはいっせいに発芽しないで、バラバラに芽を出すような自然の変化に多様に対応することが生き抜くための知恵。
自家採取の種にはこうした自然のパワーが残っていて、季節外れの雷雨で普通に一度発芽した青菜が全滅しても、自家採取種だけは、異常気象を察知するかのように発芽が遅れて、災難を免れたりすることがあるんだそうです。
また、発芽したあとに霜が降ったりして出た芽が全滅しても、遅れて発芽するものがあれば次に命を伝えることができる。たくさんの種がそれぞれ時間差で成長する力を秘めて出番を待っている、なんとも頼もしい自然の摂理です。
ただ、そのままでは不便ですから、人類は農業を始めたときから少しずつ、栽培に都合の良い性質の種を選んで育てて、その「改良」した成果を守り伝えてきました。世界各地に伝わる伝統的な作物はその輝かしい末裔達でしょう。
胡瓜は「胡」の字が中央アジア地域を意味するように、海外からの渡来野菜。唐茄子などはわかりやすい名前ですが、大根や蕪ももともとは日本にはなかった野菜。
米、大豆を含め日本料理に欠かせない作物のほとんどが海外原産と知ると、いろいろな人が長い歴史の折々に日本に移り住むたびに持ち込んだ種が、人の命をはぐくみ、様々に工夫され脈々と今に受け継がれてきたことに感動してしまいます。
そして今、もっと便利に、美味しく、楽しく、栽培しやすく、収穫しやすく、売りやすくと、あらたな海外品種がもちこまれるだけでなく、様々な新品種が生み出されているわけです。

自然は偉大なクリエーター

健康志向もあいまって、いまや野菜はファッションの時代です。「もっと甘いトマトがほしい」とか「小さいスイカのほうが便利」、「カラフル野菜はおしゃれ」といった期待に応える多様な新品種がつぎつぎと市場に送り出されています。消費者の潜在ニーズを探り、それを先取りして仕掛けていく手法はまさにファッションビジネスそのものです。
ファッションの世界でデザインのオリジナルが厳密に守られる時にデザイン盗用騒ぎが起こるように「種子」ビジネスにおいても独自の性質を守る事は最重要項目。作られた種は、勝手に種とりをされないよう花や実がならない一世代限りの命に調整されているものがほとんどです。
海外では、遺伝子組み換えの新品種の花粉が飛び、隣の自家採取の農家の作物が遺伝子組み換えの性質に変わってしまい、これを作為的な違法コピーとして種子会社が訴える事件まで起こっています。
もともと、自然は偉大なクリエーター。人智をこえた多様な可能性、創造性を秘めた種子を育み、コピー自由のおおらかさで芽を出し茂り、花を咲かせてまた実り、次世代への可能性を伝えています。私達は、その自然の流れの一部を穀物として、あるいは野菜として使いやすく変化させ、多くの人類を養う農産物を手に入れて繁栄してきました。
その結果、地球上に六十五億を超える人間が満ち溢れ、これを養うためにはさらなる種子の改良が必要といわれ、さらに急激な変化に対応するためには、すばやく結果を出せる手法でなければと、「遺伝子組み換え」の技術に踏み込みました。
二〇〇六年八月一九日の記事に書いてあったように、公式見解では「食品衛生法や飼料安全法による安全性審査などを通った品種なら、法的には『安全が担保』されている」とあります。だから作って安心、食べて安全というわけなのでしょうか。
公式見解の「大丈夫」は添加物のケースですっかり信用がなくなっていますから、「法的に安全」というのは私達にとってはなんの説得力にもなりません。
しかも添加物のケースと違って「遺伝子組み換え」の不安は、直接食べて健康を害するのではないという単純なものではなく、「これまで私達に太っ腹に恵みを与え続けてくれた、自然の摂理の『おおもと』に踏み込んでしまったのではないか」という不安です。
自然の仕組みを上手にコントロールした気になって、ここまでは大丈夫、もう少しなら・・・・と、そして一線を越えてしまった。そんな怖さがぬぐえません。


この記事は2006年12月に発行した機関誌「いいものプロジェクト」第23号に掲載したものです。