みんなで考えるページは素朴な疑問から始まりました。
そもそも、いいものプロジェクトの「いいもの」って何だろうと考えはじめて、美味しさって何だろう?、食べ物って何だろう?、天然って何だろう?・・・と疑問が疑問をよんで、回を重ねてきました。振り返ってタイトルを見ると、素朴な疑問のはずが、ずいぶんと哲学的な命題に取り組んできたように思えるのは、食べ物は生きることと不可分だからといえるでしょう。
「分かる」ことは「分ける」こと
そしてこの間に「分かる」ことは「分ける」ことだと知ったように思います。つまり「分別(ふんべつ)」を知ったわけです。分別ゴミのおかげで「ぶんべつ」と読んでしまいそうですが、「ふんべつ」は「科学」の原点。そのままではゴミの山が、分ければ資源となるように、科学者たちが混沌として解らない自然の仕組みを整理分類、分析して理解を深めたことで、人類は様々な課題を解決してきました。
でも、どんなに科学が進歩しても、わかったことはほんの少しで、私たちは膨大な「わからないこと」に囲まれていて、素朴な疑問の種はまだまだつきません。
「明暗を分けた」り、「白黒を判断」したり、「善悪を知る」ように、分かることの始まりは、単純に、まず二つに分けることのようです。また「知る」の基本は自他の区別を認知することなんだそうです。
オギャアと生まれて、いつから自分とその他を区別が出来たのかというと悩みますが、まずその前に、はたしてどこまでが自分かと考えます。自分を自分と認めることは、あたりまえのことのようですが、生まれたばかりの赤ちゃんには、自他の意識はないわけで、何でも口に入れてしまうのは、おっぱいを飲む口の感覚でしか、自分も物も認知することが出来ないからだといわれます。
娘が生まれたとき、昨日までおなかの中でへその緒でつながっていた赤ちゃんが、今朝は自分のおっぱいに食らい付いていて、おっぱいをチューチュー吸っているのを、なんだか不思議な気分で眺めていました。自分の一部であった命が、「切り離されて自分の外にある」という、別の意味で自他の区別を実感した瞬間かもしれません。
また、おっぱい飲んでネンネするだけで、毎日驚くほどの勢いで成長する赤ちゃんを見ていると、「食べる事の原点は、命の外側から命を注入することなのだな」と感じます。人間だけでなく、あらゆる命の一つ一つが、周囲からエネルギーをもらって命を営み、それを次の命に受け渡しています。薄い皮膚一枚に包まれただけの人間が、荒々しい自然の中で生きのびてここまで繁栄できたのは、命のやり取りを基本とするこの世界で、ほんの小さな切り傷でも痛いと感じる研ぎ澄まされた感覚と、過去の経験から危険を予測し、わが身を守る自己防衛の知恵の存在抜きに考えられません。
そして自分自身を認知し、守るべき家族、身内、味方を自覚する力こそがこれまでの人類繁栄の強力な武器であり、また繁栄が行き過ぎた今は、その守る力がめぐりめぐって、今度は、自らに向けられた武器となっていることも事実なのです。
わからないからはじめよう!
養老先生の『バカの壁』にはじまり、橋本治さんの『「わからない」という方法』などがベストセラーになっています。いわく「知っていることに胡坐をかくより、知らないこと、わからないことを自覚していることが重要なんだ」という内容には、とっても勇気づけられます。
知っているからと人の言葉に耳を貸さない「バカの壁」を排除して、「わからない」からはじめよう!・・・で、今号は、素朴な疑問特集というわけです。
たとえば、「木綿豆腐と絹豆腐の違いは?」とか、「薄口醤油と濃口醤油の違いは?」とかは、素朴な疑問の第一歩。
最近はインターネットという文明の利器のおかげで、こうした疑問に対する基本の答えはすぐに手に入れられます。たとえばGOOGLEで、「醤油」と「種類」の二つのキーワードを入力して検索すると、大田屋醸造というメーカーを筆頭に、ずらりとホームページのタイトルが並びます。
GOOGLEは検索キーワード別にヒット件数が多い順に並びますから、大田屋さんのページは醤油の種類について知りたいたくさんの人がすでに見て勉強したというわけです。そのほかのページをいくつか開いてみると、どのページも薄口、濃口に限らず、白醤油からたまりまで、JAS規格で分類されている醤油の種類について解説されています。
最初のうちはその丁寧さに感激するのですが、同じ文章をコピーして張り付けたようなページをいくつも見ていると、「なぜ、どのページも同じことしか書いてないの?」と次の疑問と不満がむくむくと湧き上ってきます。が、そのうち全国醤油工業協同組合連合会(「全醤工連」)の「しょうゆのことなら、ここにおまかせ!」というページに出あい、「ああ、ここがネタモトか」と気付くわけです。
素朴な疑問の答えの多くは、それぞれの業界を代表する協会や組合によって正解が用意されています。たとえば、豆腐についても、同じようにGOOGLEで「豆腐」「種類」とやれば、いのいちばんに全豆連(全国豆腐油揚協同組合連合会など全国の豆腐三団体の総称)のサイトが登場して答えはすぐに手に入ります。
こうして調べれば、素朴な疑問の空腹感はすぐに癒される時代です。でも、コンビニのおにぎりのような画一的な答えでわかったよう気分になっていていいのかな?とも思います。大事な疑問の入り口を早々に塞いでしまう、お行儀のよい正解ばかりを読んでいると、「ああ、こうして「バカの壁」が出来るのだなあ」と、実感できます。でも、正解の向こう側に気づくためには、正解で築かれた「バカの壁」に一度ぶち当たる事も大切なんだと感じます。
個性を追求すると、JAS規格から外れる?
食品の名称と種類、品質については、一九五〇年に制定されたJAS法によるJAS規格の定義があります。もともと農林水産省による「農林物資規格法」として誕生した規格なので、JASの規格一覧を見るとフローリング、合板、製材など食品以外の林産物の規格とともに、麺類やジャム、調味料など一般JAS(一六八種)、有機農産物、地鶏肉、熟成ハム類などの特定JAS(一三種類)合計二一七種類について規格が決められていることがわかります。
当初は規格を満たすつくり方をしていればJASマークが付けられると決めただけの法律だったので、マーク以外に品質を表示する規定はなく、どちらかといえば製造流通サイドが一定以上の安定した品質のものを効率よく扱うための規格としてスタートしたといえます。
粗悪な商品が跋扈していた戦後まもなくは、JASマークが「品質優良」、「高級品」の証として粗悪品を減らす役にたったのでしょうが、いまや画一的な規格品は敬遠される傾向。むしろ豊かな個性を贅沢に追求して商品づくりをした結果、JAS規格から外れてしまうケースも少なくありません。
たとえば、JAS規格のジャムは「果実、野菜または花弁を砂糖類等とともにゼリー化するようになるまで加熱したもの」と定義されているため、糖度が上がった完熟果物をふんだんに使い、砂糖を一切加えずに作ったジャムは、ジャムと呼べません。
JASマークをつけるつもりがなくても品質表示はしなければなりませんから、名称に「ジャム」との記載はできないため、代わりに「フルーツスプレッド」などの名称が使われています。これには定義がありませんから、つくり手の良心と誇りだけが頼りの品質を、一括表示の内容から推測することとなるわけです。
こうした「もっといいものが欲しい」という消費者ニーズに応えて様々なこだわり食品が生まれるなか、一九九三年に「特定JAS規格」が生まれました。たとえば有機農産物とはこんなふうに栽培された農産物と決めたり、地鶏肉とはこんな品種をこのように飼育したものといった具合に、「規格どおりにこだわって作った」と判断されることで、特定JASマークがつけられます。でも、特定JASができる前からこだわってものづくりをしている生産者からは、「マーク欲しさにあえて決められた規格どおりに作ることもないよね」との声もあり、マークの有無で品質を一概には判断できないのです。
判断のゆるぎを恐れないで
いいものプロジェクトは、いいものを定義する、絶対の正解を持ちません。いいものはコレコレと定義して良否を二分することもしていません。何がいいものなんだろうと考えることからスタートします。それは人によって、立場によって異なる良と否の間を、どこで線引きするのかは、とても微妙なことだからです。でも、私達は、毎日毎日、店頭で判断して商品を買っていることもまた、事実です。
二〇〇一年四月からは、JAS法により、全ての食品に品質表示がされるようになり、私達の表示の内容への疑問はますます増加しています。
現在、食品の表示に関する主な法律は次の六種類。
@ JAS法
A 食品衛生法
B 計量法
C 健康増進法
D 景品表示法
E 不正競争防止法
こんなにたくさんの法律が関係するかと思うとうんざりしてしまいますが、ひととおりのことがわかると、自分が何がわからなくて、何を知りたいのかが見えてくるのだと思います。
「食品表示のことが知りたい、けど難しい」という人にお勧めなのが、集英社新書の「食べても平気?BSEと食品表示」です。衆議院法制局というところで、BSE対策など農林水産関係の法案作成の担当者だった吉田利宏さんが昨年一二月に出したホットな内容です。
立場の違う人の話を聞いているうちに、それまで「これが正しい」と思い込んでいた自分の判断がゆらぐこともあるし、一度納得していたはずなのに、またまた変わる経験をすると、「なんだかわからない」、「難しい」、「知れば知るほどわからなくなる」と思います。でも、判断のゆらぎを恐れて、「もう知っているから」と人の話に耳を貸さないことのほうがもっと怖いと思います。
バカの壁を作らずに、素朴な疑問を持ち続けるために、一緒に少しお勉強しましょうか。
この記事は2006年3月に発行した機関誌「いいものプロジェクト」第20号に掲載したものです。
 |
|