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「添加物」って何だろう?

野生動物は自然が与えてくれる命のバランスを、そのまま自分の命に置き換える。そこには「食べる」行為の原点があります。川を遡上する鮭を捕まえて食べる熊も、次世代の種をはらんで実る果物や穀物をついばむ野鳥も同じ。自然がギリギリのバランスで与えてくれる命を必死で捕らえ、自分の命に置き換える。野生の「食」は、ストレートに必要なものを必要なだけ食べるわけで、余裕も無駄もありません。

命をめぐる微生物と人の戦い

人間も狩猟採取だけで暮らすあいだは野生のままだったのでしょうが、画期的な変化は土を耕し、種を蒔いて、たくさんの命を拡大再生産する農業を始めたこと。野生動物を家畜化する畜産を含め、多くの食べ物を手に入れる技術を獲得したことは、食べきれない食べ物を保存する技術を獲得することにつながりました。
保存技術の本質は、有機物を分解して自分の命に置き換えようとする微生物との戦いです。
生命維持の四大要素は「水」と「空気」「光」「養分」だって、生物の授業で習いましたよね。もっとも原始的な保存方法は乾かすこと。乾燥した気候風土では、風に吹かれるだけでも充分乾燥させることが可能です。次に登場したのが塩。細胞膜をはさんで塩分の薄いほうから濃いほうへ水分を移動させる浸透圧により、食べ物の細胞から水分が抜け、微生物の活動が抑えられます。
生ハムなどをつくるとき、まず肉の表面に塩をすり込んだり、塩漬けにするのはこのためです。ヨーロッパの乾燥した気候なら、そのまま一〜三年ぶら下げておくだけで、パルマハムやハモンイベリコのような高級生ハムを生み出すことが可能です。
一方、空気中に水分がたっぷり含まれるアジアモンスーン地域では、自然乾燥だけで水分を抜くことはきわめて困難。ところがアジアにも金華ハムがあることが知られています。
塩漬けした肉をつるすところまでは同じですが、つるされた肉の周りにびっしりと麹カビをつけるのがアジアの技術。春先仕込まれた枝肉に色とりどりの麹カビを生やし、暑い盛りにびっしりと繁殖させた後、肉の水分を吸い尽くしたカビがもはや吸うものが無いと諦めるように肉の表面からバサリと一度に落ちると完成なのだそうです。
日本では干物にするのも、素干しより塩干。生干しより煮干。かつお節作りは、加熱したあとにアジアの生ハムと同じように、カビをつけることで芯までじっくり乾燥させ、あの熟成した風味を生み出すことができるのです。
肉のたんぱく質が分解されて生まれるアミノ酸はおいしさのもと。人間にとって都合の良い風味を生み出すようにたんぱく質が分解すれば、熟成と呼ばれます。でも、嫌なにおいがすれば腐敗。どこからが腐敗で、どこからが熟成かの線引きは極めて難しい問題です。
冷蔵庫が普及した現代では、日本でも温度管理をすれば、欧州スタイルの生ハム作りも可能なはずですが、欧州とアジアでは空気中の微生物の種類が異なるため、出来はまったく別物になります。
欧州では腐敗を知らせるシグナルとしてかぎ分けられるアンモニア臭ですが、納豆の匂いに親しんでいる日本人は、この匂いにやや鈍感。欧米の人にとっては腐っていると判断されるチーズを熟成していると喜ぶ人もいるそうで、気候風土の違う加工品の素人熟成は要注意と言えるでしょう。

自然の循環から切り離す技術

生き物は、死んだ瞬間から周囲の微生物の力で分解され始めます。他の生物に食べられて消化吸収されなければ、微生物によって分子レベルに分解され、いずれ土壌や空気の一部として次の命に取り込まれるのが自然の理。野生の「食」は、肉食獣の食べ残しを鳥や小動物が食べ、その食べ残しは骨皮を問わず、さまざまな微生物の命やその排泄物に置き換わります。まさに色即是空、空即是色。命をめぐる輪廻です。
ところが人間は欲張りだから、あるいはやさしいから、「あとで食べよ!」とか「あの人にあげよう」とか思って、自分で食べる以上の食べ物を自然の循環から切り離してとっておく技術を生み出しました。
最初は微生物の活動を押さえ込み、こちらの都合よく「食べられる期間」を少しだけ延長させる謙虚な技術だったはずですが、一日が二日、一週間が一カ月、一年と「食べられる期間」を引き伸ばすことが出来ればより多くを蓄えられ、より遠くに運ぶことが可能になることを知り、その結果、食べ物が無い命を育まない不毛の土地、ついには宇宙で生きることすら可能にしたのです。
最初は塩以外に殺菌効果のある植物つまりスパイスが使われていたのでしょうが、やがて微生物の活動を押さえ込んだり、殺したりするのに効果的な成分を純粋化した薬品が生み出され、これが合成添加物と呼ばれるようになったわけです。
添加物には「飢えを救う魔法の粉」と呼ばれる側面があります。日本でも、戦後の食糧難の時代、よりたくさんの食べ物を無駄なく食べる技術として、毒性をはっきりさせた上で、むしろ使用を推進させたような時期もありました。
現在でも地球レベルでみれば飢餓は解決されず、あまったものを足りないところへ届けるための技術としての添加物の価値はまだ健在です。
しかし、飢えから解放されて久しい今、国内においては、命から命へ循環する流れをそんなに長くとどめる必要はなさそうです。人間も大きな循環の中では、命を受け渡す一つのパーツと考え、かつて微生物と競って開発した、「腐る前に食べる技術」程度の時間延長がほどよいと思いませんか?

作る人もいずれは食べる人

無添加でハムを作る、神奈川県の湘南ピュアのロースハムの表示を見ると、材料=豚肉、添加物=岩塩、野菜ブイヨン、スパイスとあります。「台所にあるもの」ばかりです。日本では衛生法でハムに使用が認められる亜硝酸塩を使っていません。発色剤の亜硝酸が入っていないのに、桜色に美しく色づくハムに仕上げられたこのハムの日持ちは一週間。生肉よりは長いけれど、一般のハムに比べればきわめて短い、売りにくいハムです
湘南ピュアのサイトに次の宣言がありました。引用します。
狩猟で得た肉を海の塩で塩漬けして木を燃やした煙でいぶす。それを家族や仲間で分けて食べる。これが人間が自然の一部であった頃のやり方でした。近代化は同じ品質のハム、ソーセージを大量に生産すること、それをすばやく衛生的に消費者のもとに運ぶことを可能にしました。
しかし、便利で豊かな生活の中でふと気がつくと、私たちの社会は自然の一部ではなくなっていました。生きる喜びを味わうはずの食事が原因で健康を害する人、人間の証である働く喜びを感じられない人をも生み出しました。ぴゅあハムは「参加」「共同」を大切に考えます。
今、何よりも食べるものを創る人と食べる人の距離を小さくする必要があるからです。ぴゅあハムは「創造」を大切に考えます。誰もが安全でよりおいしいものを食べたいと願っており、今までの合理性第一のやり方ではそれができないことを知っているからです。
人間は地球の空気、水、土、動物、植物そして微生物とも共生しています。そのことをハム作りに活かしたいとも思います。これらのことを大切にして、ぴゅあハムは再び食べものを創る喜びと食べる喜びが一つになる、再び人間社会が地球の一部となる時代を創りたいと考えています。
「食べることは自然の命の移し変え」とおっしゃったのは、森のイスキアの佐藤初女さん。作る人もいずれは食べる人になる、みんなが消費者で、生活者となった今、自分の命を宇宙の循環の中で考えると、必要な添加物の意味がみえてくるのだと思います。

                                      

この記事は2005年12月に発行した機関誌「いいものプロジェクト」第19号に掲載したものです。