ing
良品工房 | 会社案内 | いいものプロジェクト | モニター | ご提案 | 「いいもの」通信 | 考えるペ−ジ | リンク
考えるページ
「安心」って何だろう?

「食の安全・安心」って、すらすら四文字熟語のように使ってしまうのだけれど、「安全」と「安心」は似ているようでずいぶん違う。さて、これって何?と考え始めると、なかなか難しいのです。
「当店はお客様に安心をご提供いたします」と、広告が訴えます。売り手サイドが「こちらがさまざまな努力をしているから大丈夫、あなたはナーンも考えずに安心して」という、例のパターンの再登場です。さて、私たちはいったい誰に「大丈夫」と、言われたら安心できるというのでしょうか?

「大丈夫」を裏付けるもの

「食べる」をめぐる「危ない」をひたすら排除することで、今考えられる「危険」からはとりあえず遠ざかることができそうです。起こりうる危険に優先順位をつけ、「備えあれば憂いなし」の実践でひとまず安心する。この「伝承、生き抜く知恵」の基本を、安全を確保するシステムにまで高めたのがNASA(米国航空宇宙局)です。
最近耳にする、HACCP(ハセップ)と呼ばれるのがそのシステムです。宇宙飛行士が腹くだし・・・なんて笑えない事態はなんとしても避けたいと考えたNASAの宇宙食開発チームが、宇宙船の安全確保と同じ発想で「食べ物」の安全を限りなく一〇〇%に近づけて確保するために考えました。
Hazard Analysis Critical Control Point=危害分析重要管理点という英語の頭文字でHACCP。食べ物の製造過程で、微生物に汚染されたり、異物が混入したりする、あらゆる危害(Hazard)の発生原因を突き止め、危険にならないように管理して、できるだけ安全に近づけようというものです。
六〇年代に開発され、日本でも九六年から、衛生法の一部改正に伴い「HACCAP手法支援法」が定められ、企業の自主性に任せた承認制度がスタートしています。
現在、この承認制度が対象とする食品は、
●牛乳、やぎ乳、脱脂乳および加工乳
 クリーム、アイスクリーム、無糖 練乳、無糖脱脂練乳、発酵乳、乳酸 菌および乳飲料
●食肉製品(ハム、ソーセージ、ベー コンその他これに類するもの)
●魚肉練り製品(魚肉ハム、魚肉ソ ーセージ、鯨肉ベーコンその他こ れに類するもの)
●容器包装詰加圧加熱殺菌食品(い わゆる缶詰、レトルト食品)
●清涼飲料水
以前の食品衛生法では、食肉製品や乳製品の製造法に一定の基準を設けて基準外の製法を禁止していましたが、改正後は、製造される食品の安全性が確認され、総合衛生管理製造過程(HACCP)の承認を受ければ、他のつくり方でもオーケーになりました。こうした規制緩和の一方、政府はHACCPの適用範囲を拡大し、食品業界に積極的な導入を求めていく方針でした。
ところが、二〇〇〇年六月、雪印乳業集団食中毒事件を起こしたあの工場が、HACCP認証を取得していたのです。およそ常識で考えられる危害発生ポイントをすべて管理していたはずの工場で、洗浄不良、洗浄記録の不備をはじめ、一度パックした牛乳を、業者に屋外で開封作業をさせて再利用するなど、考えられない非常識、驚くほどずさんな衛生管理の数々が明るみにでたのです。
この事件を契機に、HACCP方式は安全だから安心という神話が崩壊しました。

保存用の技術でフレッシュ?ミルク

もともと牛乳は安全な食べ物。生まれたばかりの牛の赤ちゃんにとって、母牛が与える乳ほどクリーンで安全な物はありません。人間が食べ物として利用した歴史も古く、腐りやすい生乳を、微生物の力を借りてヨーグルトやチーズに加工して保存期間をのばす技術は古代からのものです。
一八七六年、細菌学者のパスツールが低温殺菌法(パスチャライゼーション)を開発しました。白鳥型のフラスコの中で肉汁を加熱することで、細菌が侵入しなければ腐らないことを証明した実験は有名です。パスチャライゼーション=加熱殺菌と単純に思いこんでしまいがちですが、もともと生乳からヨーグルトやチーズを作る食文化を持つフランスの学者が考えたこの殺菌法は、単純な煮沸消毒とはわけが違います。
病原菌など有害な菌だけを死滅させ、乳酸菌や牛乳のたんぱく質など発酵に必要な成分や消化吸収を損なわない加熱のギリギリの妥協点を求めて考案された、高度な熱処理法。単純な加熱殺菌と区別するために「半熟煮(Par-boiling)」とも呼ばれるデリケートさです。
世界標準となるIDF(国際酪農連盟)では「六三度三〇分間の保持」の低温長時間殺菌と「七二度一五秒」の高温短時間殺菌二つの方法を、パスチャライズド牛乳の規定としています。
日本でも、明治乳業が一九五二年に導入した最初の殺菌機は、七二度一五秒間殺菌のHTST(high Temperature Short Time=高温短時間法)の殺菌機でした。しかし当時は牧場から工場に運ぶ間の温度管理、衛生管理が不備で、殺菌する前の原料乳の段階で細菌数が増大しており、七五度や八五度に設定温度を高めなければとても安全とはいえない状況で、これが日本式の高温殺菌法として一般化したといわれます。
一九五七年、森永乳業がUHT〈Ultra high Temperature=超高温殺菌機〉、一三〇度二秒間という超高温で瞬間に殺菌する方法を導入しました。この殺菌法は、牛乳を常温で長期間保存するために開発された技術で、言い換えれば牛乳の缶詰。九九・九九%以上の無菌になる反面、成分が変性し消化吸収しにくくなるため、ヨーロッパでは毎日の飲用乳にはほとんど使われていません。
殺菌前の原料乳の細菌数が問題視された当時、無菌になることを「安全」と考えた日本のメーカーは、これ以後競ってこの殺菌技術を導入し、現在日本の牛乳の九〇%以上がUHT殺菌法で作られるといわれます。LL(ロング・ライフ)牛乳として長期常温保存できるUHTの技術を、保存を目的としない日配牛乳の殺菌に多用しているのは日本だけといわれます。

無殺菌牛乳は安全か?

北海道・十勝の中札内村の牧場レディースファームでは、なんと無殺菌で牛乳を生産しています。当初は、低温殺菌牛乳の生産を計画したそうですが、もともとの原料乳の品質が通常の殺菌をした牛乳よりも優れ、UHTでも一ミリリットル中に一〇〇個程度、低温殺菌乳の場合は一〇〇〜一五〇〇個といわれるのに、ここの生乳は搾り立ての状態で六〇〜八〇。大腸菌や有害雑菌を一切含んでいないため、無殺菌牛乳の生産に挑戦し、実現したのです。無殺菌と言うより、殺菌するべき菌が無い非加熱の本物のフレッシュミルクです。
当初、無殺菌牛乳の商品化などとんでもないと取り合わなかった保健所を相手に、徹底した牛の管理を証明する千枚以上の提出書類と、毎日の乳質の検査データを積み上げて三年、食品衛生法などの基準をクリアし、二〇〇三年から全国販売も認められ、インターネットで好評通販中です。
「想いやり牛乳」と名づけられたこの無殺菌牛乳も、一三〇度二秒という超高温で殺菌した牛乳も、どちらもHACCPで危機管理した「安全」な牛乳です。でも、どちらを「安心」だと感じるかは、飲む人の「安全」に対する感受性の違いで、その答えはさまざまに違うのだと思います。
ちなみに、乳酸菌が生きている「想いやり牛乳」の消費期限は五日間。元気な乳酸菌の働きで、期限が過ぎてもすっぱく発酵はするけれど腐らない。「悪い臭い〈腐敗臭〉さえしなければ何日でも飲めます」とつくり手は言います。さて、あなたはこの、すっぱくなった牛乳を「わっ!ヨーグルト」と喜びますか?それとも「腐った牛乳」と言って捨てるのでしょうか?

基準を満たせば安心か?

二〇〇〇年四月、農水省は「酪農及び肉用牛生産の近代化を図るための基本方針」で、牛乳工場のHACCP認証取得を推奨。中小を統廃合した工場の大規模化の方向を示しました。
そんななか、岩手県岩泉町で自然放牧の牛乳を生産している中洞牧場の中洞さんは、ホームページで「酪農家の皆さん!自分の牧場の牛乳を自分で製造・販売しませんか」と、格安でつくる、自前の小さな牛乳工場設立を呼びかけています。
中洞さんの主張は「現在一般的に行われている、配合飼料多給型の酪農は、本来人を養うべき穀物を乳牛に与えるもので、世界的食糧事情からみれば改めなければならない」とし、「日本の国土の七割を占める山地地帯で乳牛を放牧して、真の日本型放牧酪農の構築を目指す」というものです。
しかし、放牧して自然の青草だけを食べさせると原料乳の乳脂肪が低下するため、農協の集荷条件に合わず出荷できません。
中洞さんは主張を貫くために、牛乳を自分で製造・販売する、自前でオリジナルの牛乳プラントを作りましたが、そのノウハウを、同じ志の酪農家に提供しますと呼びかけているのです。
中洞さんに限らず、放牧牛乳を手がける生産者からは、
「夏は牛が水をたくさん飲みますから、とくに乳は薄くなります。ところが、農協に出荷する場合、乳脂肪が三・五%未満だとペナルティとして安くされるんです。嫌なら飼料を沢山食べさせて、濃い乳を出させなければなりません。でも、変でしょう?人間だって夏バテして食欲が落ちるわけで、自然の欲求なのに、商品の規格に合わせて牛の乳を無理やり濃くするのは・・・」という言葉を耳にします。
人と同じく、牛だって食べすぎは体に負担。抵抗力を失えば乳房炎など病気にもかかりやすくなるし、輸入配合飼料のポストハーベストの問題、過剰な排泄物による農地の汚染などなど、さまざまな別の「危機」が生まれます。
酪農を「生き物産業」と位置づける中洞さんは、「より自然なものを食することが本来の人間の姿だとすれば、牛乳もより自然に近いものを生産し供給することが重要であり、それをエコロジー牛乳の使命としたい」と宣言します。

NASAの挫折から見えてくること

二〇〇五年七月、「ディスカバリー号」のおなかを傷つけた「予期せぬ落下物」が、NASAにスペースシャトルの次回打ち上げ凍結を決断させました。
これまで、HACCPの産みの親らしく、「発見された危険はことごとく分析し取り除いたから安全」と言い切って、数々の事故を乗り越え、突き進んできたNASAに、ストップをかけたのは「衆人環視」です。
一〇〇台を越すカメラで捕らえられた映像が、コロンビア号の事故原因と同じされた「落下物」と同様の物体を映し出し、世界中にその様子が流されたことで、自分たちの技術が「危険」を排除しきれなかった事実を認めざるを得ない状況になったのです。
早々と間違いを認め、計画変更の声明を発表したことで、今後、NASAがこれまでの「技術信奉」から「安全重視」に方針を切り替える兆が見えたともいわれます。
どんなに力のある組織もシステムも、全ての危険を予測しつくすことはできません。だからこそ、自分で考え、自分で選択しなければなりません。何を優先させて危険を排除するのか、それは状況によって微妙に変わる選択です。
戦後の最悪の食糧事情、衛生事情を乗り切るためには添加物が魔法の粉として礼賛されることもあったのです。
二一世紀に入り、今、あなたは「食」をめぐる何が最も心配ですか?
見えない病原微生物への不安を取り除くための「殺菌」が、新たな不安の種を生みます。でも、殺菌することで保存期間を延長し、食糧備蓄を図ることは別の意味で「安心」です。
「安全安心」と「不安不信」はメビウスの輪。私の安全があなたの危険にならないように・・・。


この記事は2005年9月に発行した機関誌「いいものプロジェクト」第18号に掲載したものです。