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「天然」ってなんだろう?

「天然ってナンだろう」と考えはじめて、買い物に出かけると、いろいろなところで、天然に出会います。魚屋では、鰤の切身に「天然物」とあります。パン屋の店先には「天然酵母使用」。「天然塩」「天然水」。とか、最近テレビでは「天然ボケ」というのも流行りのようです。
天からの授かり物がそのとおり、そのままあるものがつまり、「天然」。 
生まれながらのキャラクターの、人の世の常識の枠を超えちゃった「天然」の反応に、笑いながら、なぜかほっとして喜んでしまうのは、そのままの物がとっても珍しくなっているからでしょう。

子供の頃世界は広くて、自分の生まれ育った知っている限りの世界の向こうには、森や海があり、人間界を大きな自然が包みこんでいるという感じではなかったかしら?
ヘンゼルとグレーテルなどおなじみの童話を読んでいても、村のはずれは真っ黒な森に覆われ、その先は遠い別の国が、やはり黒い森や海にまれていて、それより先は、未知の世界という感じ。村から村へ、街から街へとサーカスや季節が巡りくる、そんなお話の中の言い回しに疑問を持たずにいられましたが、いつのまにかその「から」が無くなって、人の営みが窮屈にくっつき合う時代。むしろ、世界各地の希少な自然が国立公園などの形で保護されて、人間界の海に残され、小さなコロニーのように点在する、すっかり人里で生め尽くされた世界に私達は生きているようです。


いわしは立派な天然物

さて、魚は食品の中で希少な天然資源。目に見えない植物プランクトンから始って、少しずつ大きく強い物に食べられる、食物連鎖の不思議なリングが切れずにつながっていてくれる、本当にありがたい食べ物です。
それさえも、日本海の鰯はすでに絶滅状態との報告がされるなど危ない状態ですが、まだ高いとはいっても、一匹2〜300円程度で鰯の刺身が食べられる、正真正銘の天然魚が身近にいてくれるのは、なんだかほっとするうれしい事です。
天然魚の鰯を大量に根こそぎ取って、これを飼料にして鰤など養殖が成り立っています。養殖と区別する為の天然といいますが、養殖もまた、天然無くしてありえないわけで、結局、私達は、どんな形であれ、天然をいただいて命を永らえているわけです。
繊維の業界で、天然繊維と呼ばれるのは、羊毛、蚕等の動物性繊維と、綿や麻などの植物繊維のすべてです。中には希少な野生動物の毛を繊維にするケースもあるわけですが、ほとんど高度な栽培技術で、様々な遺伝子組替えも活用され、大量生産される綿花や麻糸であっても、これはすべて天然繊維と呼ばれます。
魚を天然物と呼ぶのは、養殖と対比させる価値を強調したい言い方です。鰯や秋刀魚は天然物ですが、当たり前だからこそ、天然と強調するのを見かけません。繊維の世界は、とっくの昔に野生の動植物を利用した正真正銘の天然繊維製品など流通する事がほぼないわけですから、化学繊維ではない物すべてを「天然」と呼ぶわけです。「○○では無い事」イコール天然の構図です。食べ物については、まだ野生を食べるチャンスが残されているわけで、そうは簡単に人工で無いものイコール天然とは言い切れないのです。

天然酵母は天然か?

最近パン屋さんにいくと、天然酵母使用という文字が目につきます。
まず、「自家採取酵母使用」と主張しているパン屋さん。これは、果実の表面や木の皮、木の葉についていたり、空気中にただよっている野生の酵母を、果実やじゃが芋、小麦粉などの培養基に採取して育てた「自家採取」酵母を使って焼いているパン屋さん。
もう一つは、先達が自家採取した酵母を純粋培養し、手に入りやすい形に商品化した「天然酵母」を使用しているお店。日本でよく使われているホシノ酵母は、町田市にある「ホシノ天然酵母パン種研究所」の星野昌さんが醸造業経験を生かして、30年の研究の末、昭和55年に完成させた酵母です。酒種酵母をベースに強力な野生酵母を加え、誰でも扱い易く保存性のよい粉末に仕上げられ、家電品のベーカリーでも使えるほどになっています。
このほかにも、フランス人のブッシュ・ピエールさんのパン屋ノヴァが輸入しているバックフェルメント酵母も使われています。自分で採取した野生酵母を苦労して使っているパン屋さんの中には「自家採取」の酵母だけが天然で、純粋培養されて商品化されたその他の酵母を使った物はは天然酵母パンでは無いという主張もあります。

パリの老舗パン屋のご主人リオネル・ポワラーヌさんが書いた、「ようこそパンの世界へ」(パンニュース社)には、伝説としてのパンの起源がこう紹介されています。 
その昔、ナイル河の河畔。小麦の練り生地を忘れてしまい、しばらくして気がついたときにはいつもと様子が違っていて、それを捨てずに焼いてみたら、ふんわり美味しいパンになったというのが、はじめて発酵したパンの誕生というお話。この伝説は、ナイル河に堆積した黄土の中に、現在の製パン業を支えるイースト菌とおなじ酵母菌が発見されたことで裏付けられたとされています。つまり、現在、工業的に使われているイースト菌も、もともとは天然に存在する酵母で人工的に合成された物ではありません。長い歴史の中で、培養しやすく、発酵しやすく、扱いやすくかつ経済的にと、様々な人の都合を優先させた結果。必要な栄養分だけを整えた化学肥料のような培養基で、まるで、人工的な薬品のように純粋に効率的に培養されるイースト菌となったわけで、天然酵母という言葉は、こうした人為的な培養をしたイーストでは無いことを意味しています。

センスで選ぶ酵母

ドイツのパン職人が新しく店を開く時、最初にすることは、親方からわけてもらったパン種を新しい作業所の四隅や壁に塗りつける事だとききました。パンを発酵させる酵母種は親方から分けてもらうのですが、作業場にパン種を撒く事で、空気中に飛んでいる微生物群もおなじパン酵母優勢にして、パンの出来具合を安定させようという職人の知恵です。パン種を譲りうける、こうしたパン職人の師弟関係を求めようの無かった日本で、星野さんやピエールさんの酵母の登場は、イーストに頼らないパン造りを容易にし、市販のパンの世界を広げてくれました。そして、最近はそれでは満足しない、自分の理想を思い描く職人気質のパン屋さんが登場し、大変な苦労をして酵母を選び出し自分センスの「自家採取酵母パン」を焼いています。そして、さらにその酵母もらって開業するケースもでてきて日本のパンの世界は、このところ一気にひろがっています。こうなると、親株に頼らず自分センスで選んだ酵母で個性的なパンを焼いているケースと比較すると、安定した酵母を手軽に提供するホシノ酵母は、培養基の質がイーストとは比べ物にならないぐらい良質であっても、均質、画一的であるという点で、イーストに近い印象になってきて、天然酵母ではないという主張も理解できる気がしてきます。

人工で無いものイコール天然と単純に言いきれない食べ物をめぐる価値は常に流動的、何が天然、何処が自然って、もう少し考えてみましょう。


この記事は2002年12月に発行した機関誌「いいものプロジェクト」第7号に掲載したものです。