「ここのところ、第何次かのラーメンブームだそうで、テレビで、人気ラーメン店のだしのとり方まで解説されていると、つい「ヨーシ!今度あの町へ行ったら、あれ食べよ」などとヨダレをたらして見てしまうのですが、どうやら今、ラーメンは「ダブルスープ」というのが人気の主流になっているらしい事がわかります。「ダブルスープ」つまり、トンコツや鶏ガラを使った動物系濃厚スープに、昆布や魚介類のだしをあわせ、二種類のだしで味わい深く仕上げたコダワリモンのラーメンスープの事です。
ゲンコツのような豚の関節や、モミジと呼ばれる鶏の足先を巨大な寸同鍋にあふれんばかりに投入し、グラグラと別府の地獄湯のごとく煮え返らせて仕上げる白濁したスープ、これをザブンと丼に注ぐ前に、昆布や貝、店によっては鮎の焼き干しなどから丁寧にとって、シンと静まりかえったように透明に仕上げた出しを、まるで大切な香油の一滴の慎重さで垂らし入れる。濃厚にして繊細な、化学調味料無添加のラーメンスープで人気の頂点を極めようと切磋差琢磨する、若き新時代ラーメン職人の姿はとても感動的です。
化学調味料の表示は見かけないけど
さて、かたや近所のスーパーで買ってきたラーメンスープのラベルを見ると、肉エキス、発酵調味料、風味調味料、蛋白加水分解物、調味料(アミノ酸等)などがスープの常連達で、化学調味料であるとか、化学調味料の別名である事が広く知れ渡った旨味調味料の記述は見かける事が少なくなりました。人によっては「最近、化学調味料を使うメーカー少なくなったよね」と誤解しちゃうケースもあるくらいですが、このスープの常連達は、強烈な旨味を目的に人為を尽くして作られた調味料で、多くは、かつて化学調味料といわれていたものと同じです。
ラーメン特番の中では、皆が、知恵を尽くして、様々の味を、重ねて、重ねて、「これでどうだ、参ったか!」と言わせる、圧倒的な旨味づくりに狂奔していました。これまで化学調味料を多用していた、ラーメン業界の慣習をあらため、なるべくこれに頼らずに、しかも、これまで以上のインパクトを表現しようというラーメンクリエーター達の熱気を感じます。旨さを表現するためには、ありとあらゆるチャレンジを恐れず、様々な秘伝、隠技、裏技を駆使して、人を満足させる方法を編み出すのだなと、関心しながらも、こうした「もっと効果的に、もっと美味しく」という欲望が、また別のパンドラの箱を開けてしまうのではないかしらと不安がよぎります。
麻薬的な美味しさの先にあるもの
ラーメンに限らず「今、これに、ハマッチャッて、麻薬的な美味しさです」というのが、最近よく耳にする美味しさ表現のフレーズですが、美味しさという感覚は、どうやら、もっともっとエスカレートする、まさに麻薬的な側面をもっているようです。スーパーの棚から、化学調味料という表示が消えても、強烈な旨味を安価に提供する、さまざまな名称の調味料が、加工食品に重層的に入っています。こうした加工食品の作り手は、人の味覚はすっかり濃厚、複雑、めくるめく美味しさでなければ、満足しなくなっていると、思いこんでしまっているようです。
ある、缶詰メーカーに頼んで 完全にグルタミン酸ソーダーを入れないコンソメスープを作った時、サンプルを持ってきた社長さんが、「うちの技術者が、これでは、全然味になっていないから」といって、頼んでいないグルソー入りのサンプルを持ってきたことがありました。試食をしてみると、グルソー無しで充分味は出ているのですが、毎日、グルソー入りのサンプルを試食している人には、実に頼りなく感じるようです。
「いま、世にあふれている安価な旨さを旨さと認めて、より、安い価格で、もっと旨く」と考えたら、美味しさのデフレスパイラルに陥るような物で、本当の美味しさは見失ってしまいます。
若きラーメンクリエーター達が、化学調味料という、ショートカットを使わずに切磋琢磨する事はすばらしいと思うのだけれど、オレンジの皮や、黒焼きニンニクなど創造的な素材使いのラーメンを見るうちに、様々な素材を加え、味を添加していく発想が、化学調味料無添加ではあっても、化学調味料の多用によって生み出された、「もっと旨く症候群」の欲望を追い求めている事には変わりなく、強い旨味、濃厚な味を求める限り、より、ローコストにその味に近づく為には、化学調味料を使わざるを得ない事になるわけです。
引き算の美味しさ旨さに気付く
最近、おすし屋さんでの流行りは、塩で食べる寿司です。白身魚の微妙な味や、香りを楽しむのに醤油の味や香りは、邪魔とばかりに、塩と柑橘酢で食べる食べ方が人気です。酢で〆たり、薬味をきかせたり、タレ、ツメを付けたり、魚の鮮度と競争で、美味しく食べる技を発見し、駆使した先人達の知恵の集結としての寿司は文化として楽しみながら、漁港直送の鮮度を誇る回転寿司の隆盛の中では、素材その物の良さが透けて見える食べ方に興味が移る、美味しさのツボが変わってきていることを感じます。
魚の身が、本来持っている甘さや、旨さが消えないうちに手に入りやすくなったために、引き算の美味しさを求める要求が芽生えてきたのでは無いでしょうか。
同じように、旨味をあえて付けなくても良いほど、味が深くなった野菜も増えてきています。だから、アミノ酸使うのやめようかなと、迷っている生産者もいます。しかし、加工食品で引き算になれていない舌には、最初、物足りないと感じられることも事実です。多くの食べ手が、旨味中毒にかかっているのに、引き算の味をいきなり商品化する事はとても勇気が要ることです。
ニコチン中毒ではないけれど、知らないうちに、自分が旨味中毒にかかっていないか、舌を素に戻してみると、思わぬ味わいに敏感に反応できる自分を発見できたりするかもしれません。
美味しさって、ナンだろう?
旨いって ナンだろう?
この記事は2002年6月に発行した機関誌「いいものプロジェクト」第5号に掲載したものです。
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