「いいもの」は自分の眼で選ぼう!とスタートした私たちの活動は、毎日を美味しく健康に、そして楽しくみんなが過ごそうというごく普通の思いの中で、活き活きとしたパワーになっていくのだと信じます。
「何がいいものか?」って考えることがまず一歩という感じ。一緒に考えて、「いいもの」の根拠をいろいろな視点から見直して、普通の暮らしに無理なく馴染む、毎日使える、食べられる、今の時代の「いいもの」の本質が少しずつ見えてくると素敵だなぁと思います。ここでは毎回いろいろな視点から、「いいもの」って何だろうとみんなで考えていきたいと思います。
まず「いいもの」とつく以前に「食べもの」ってなんだろうと思いませんか?薬品のような錠剤や顆粒ゼリー、まるで薬品から合成したような形ばかりのジャンクフードに姿を変えていようと、「食べもの」といわれるからには、そのものをたどれば結局、芋や野菜、穀物や海草、動物の肉や骨や乳にたどり着きます。私たちはどの様に知恵を絞ろうと、この地球上に生を受けた生命である以上、同じ太陽に育まれた他の生命が、子孫に伝えようと必死に蓄えた養分をチャッカリ戴いて自分たちの命に変えていく以外に生きる術は無いという事実。もしかしたら、このことを真剣に考えていなかったかもしれない。
小麦は食料として重要な穀物ですが、古代人が小麦を「食べもの」として選びだせたポイントは、「自分の命を伝える事がへたくそな小麦」がいてくれたおかげだと知りました。植物が生き延び、自分の種を繁栄させるためには、できるだけ種子をバラバラにしかも遠くに撒き散らす能力を磨く事が不可欠。だから、林檎やスグリが真っ赤にきらきら輝くのも、鳥達に「私美味しいわよ!ねえ食べて!」と誘惑して遠くに栄養たっぷりの糞と一緒に種まきしてもらおうという林檎の一級の戦略です。
これはジャレド・ダイアモンド氏が書いた『銃・病原菌・鉄』(草思社)に詳しく書いてありますが、しっかり穂にくっついている小麦は、本当は種まき下手で陶汰される運命にあったはずですが、古代メソポタミアの何処かで、人類と出会い、収穫・脱穀・種まきを人類にしっかりお世話になることで、今や世界中で繁栄する種となったということです。まさに人類と小麦の幸せな共存共栄のなかで、パンやうどんの美味しさが生まれたというわけです。一生懸命に生きようとしている命同志の出会いとその後の幸せな調和が、小麦を、人類にとって第一級の食べものにしたといってもいいかもしれません。
人類という命が自ら永らえるため摂取するものそれがまず「食べもの」だといえるでしょう。かつて豊かな森があり、狩猟採取だけで生きていくことができた時代から現在まで、形は変わってもいつでも自然はそのまま食糧生産のフィールドであり食料庫でありました。
最終補食種族である人類は、自分の命を最優先に他の命を贅沢に戴いて、最後はその身を土に還したり、河に流したり、鳥に食べさせたりして、折り合いをつけてきたはずでした。
人類も含めて、地球上の植物動物にいつでも気前良く命の源をあたえ続けてくれた自然のはずでした。
それがどうも「ちょっと変」という今、「食べもの」の当たり前の意味をこれだヨねって、みんなで考えたい。
「いいもの食べたっ!」って素直に思える、豊かな味わいの美味しいものが、いつまでも私たちの食卓を賑わせてくれる様にという願いは、食べ物を作る人、売る人、買う人の区別のない思いだと思うのです。
生産者といえども、自分の作るもの以外については消費者になります。そして、それぞれの立場で気付いたこと、分かり合うことで、人の営みが生み出してしまったさまざまな問題が解決するための方向が見えてくるかも知れません。
毎日の生活に欠かすことのできない「食べもの」。あなたにとって「食べもの」ってなに?「いい食べもの」ってなに?
この記事は2001年9月に発行した機関誌「いいものプロジェクト」第2号に掲載したものです。
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